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中川村の概要
長い歴史の中で受け継がれてきた民話や伝統、歴史的文化財や史跡。四季折々の草花に心踊らされる果実の彩り、天竜川の流れに潤う田園地帯、河岸段丘にゆったりと広がる果樹園の恵み。すべてが自然公園「なかがわ」の宝物なのです。
村章
中川村「中」を図案化し、輪は「和合」、三角錐は「発展」をそれぞれ象徴しています。
村名の由来
天竜川を中心に結束する新しい村として村民から募集して定められた。
沿革
中川村は、昭和33年3月31日新市町村建設促進法により、南向、片桐両村合併調印を完了し、同年8月1日より中川村として、発足し現在に至っている。
旧南向村は、大草村、葛島村、四徳村の合併村である。大草村は古来1か村であって、葛島村は旧来天竜川を隔て片桐村に属し、四徳村は旧来大草村に属していたが明治18年幾多の変遷を経て前記3か村が合併して南向村となり戸長役場を置いた。その後、昭和24年4月1日、本村最北端にあった日曽利部落が分離して、飯島村に行政区域の変更をした。
旧片桐村は、長暦年間従5位下信濃守為公の5男為基が船山城を築き、片桐郷を領した。その後数次変遷して明治元年天朝領となり、田島村、前沢村、小平村から成り、葛島村、七久保村、片桐町、上片桐村を合わせて片桐郷七か村といい戸長役場を設けた。明治8年に葛島村は大草に編入。明治14年8月片桐町、上片桐村が分離し上片桐に、七久保は七久保村に、田島、前沢、小平は片桐村となり、新村合併まで続いた。
運動会(南向中学校) |
大堤(間柱) |
昭和34年 渡し船(中川橋流失) |
昭和36年 36災害 |
地勢
本村は上伊那郡の最南端に位置し、屈曲蛇行して南流する天竜川により竜東南向地区と竜西片桐地区が画然と二分されている。竜東南向地区は永見、折草峠を経て飯島町と駒ヶ根市に接し、東は大鹿村に、南は小渋川を隔て下伊那郡松川町と境している。地勢は伊那山地(陣馬形山、大嶺山)が南北に走り平坦地は少ない。
これに対して竜西片桐地区は北は飯島町に、南は下伊那郡松川町に接している。地勢は、天竜川によってできた河岸段丘が代表的なものであり、段丘に囲まれて谷盆地(小和田、田島)があり、段丘を削った沢は天竜川にそそいでいるが、盆地におりるあたりでは天井川(保谷沢、八幡沢、矢村沢等)が見られる。
味覚の里なかがわ
天竜川を中心に雄大なアルプス連峰を望み、美しい河岸段丘が広がる自然公園中川村。四季を通じて様々な表情を見せるこの村には、たくさんの宝物があります。その中でも、この恵まれた自然環境の中で育てられるリンゴ、梨、梅を中心とした果実栽培は、わたしたちの村の多くの恵みを育む宝物であり、未来でもあります。
村木「ひのき」
四季を通じて緑で地域を涵養し、すくすくとまっすぐに伸び、発展する村の将来を象徴しています。(昭和53年7月4日制定)
村花「うちょうらん」
花弁と花の色に特徴の趣(おもむき)があり、人の和と自然の美しさを表わしています。(昭和53年7月4日制定)
中川村歌 米山園枝/作詞 戸枝ひろし/補作詞 宇田とおる/作曲
1
朝夕に 仰ぎ親しむ駒の頂き ああ あの雪の 白さに映えて
中川 中川 わがふるさとの かがやく未来 日本の屋根に虹を呼ぶ
2
緑濃き 村を流れる清き天竜 ああ 野に山に めぐみはゆたか
中川 中川 わがふるさとの 産業文化 坂戸の花と 咲ききそう
3
陣馬形 姿やさしく共にほほえみ ああ 励みあう 理想はひとつ
中川 中川 わがふるさとよ 平和な自治の ほまれを永久に 継ぎゆかむ