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《村長の部屋》 人形浄瑠璃で使う「首(かしら)」を寄贈していただきました。

記事ID:0001361 更新日:2020年1月17日更新

 

展示の部の様子 贈呈式の様子                                           

 

 

 

 

 


 11月2日(金曜日)から4日(日曜日)までの3日間、村の文化祭が開催され、社会体育館では文化展が催されました。展示は、絵画、写真、書道、短歌、手芸など広いジャンルからの出品があり、知っている方の作品が多数出展されていて、失礼な表現を許していただけるならば「意外な一面」を知ることができたのが正直な感想であり、無論、作品は出来映えよく、なかなかなものが多くありました。また、体験コーナーとして囲碁、麻雀、お菓子のデコレートに加え、人形浄瑠璃芝居に使う、人形の動かし方を体験できるコーナーがあり、演じ手の方に手ほどきをしていただき動かす体験をしました。
 4日(日曜日)は、村の文化祭ステージ発表の部が文化センター大ホールであり、オープニングの中学校吹奏楽部の皆さんによる演奏で始まり、陣馬太鼓子供連の元気で、揃った演奏など、25の団体、チーム、個人の出し物があり最初から最後まで楽しく観、聴くことができた1日でした。出演された皆さんの日頃の練習、稽古の様子を感じました。
贈呈式の様子 さて、文化祭の特別な事業として、中川人形保存会による「三番叟」に続いて、浄瑠璃人形の頭一体の贈呈式があり、東京都世田谷区にお住まいの方から、村を代表して受け取りました。お礼に、頭を写真焼き付けした石版を二子多摩川小学校に飾っていただくよう、西小丸山校長先生の手から、鈴木PTA会長に引き渡しを行ったものです。ここに至る経過の一部を紹介します。

経 過


 遡ること73年、二子多摩川国民学校児童81人が片桐村に集団疎開し、戦争が終わり帰る際に、保護者の方から、お礼として名工天狗久(ひさ)の人形頭6体を寄贈していただきました。以降、横前地区の人々の手で演じ続けてきましたが、昭和37年をもって途切れることとなりました。その後、横前地区有志の皆さんにより、途切れていた横前人形芝居を復活することになり、横前地区の皆さんを中心にして人形遣いの稽古、義太夫、三味線の練習が始まりました。
 平成25年3月に中川人形保存会による「切竹紋次人形浄瑠璃発表会」での演目「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」のお弓の頭が寄贈された頭であることが明らかになり、世田谷区にお住まいの関係者の皆さんをお呼びして初演がされました。
 二子多摩川郷土史会員の方の縁者が保存していた頭を、遺品整理で偶然発見したことから、疎開の縁で中川村に贈られた「天狗久の頭」が上演に使われていることなどから、中川人形芝居で使用していただきたいとの申し出があったことから、急きょ文化祭でのセレモニーとなった訳です。

結びに


西小学校 中川人形クラブによる公演の写真 贈呈式の後、中川西小学校人形クラブの児童6人が、「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」中、父母を尋ねるお鶴が一夜の宿を請いに実の母であるお弓と巡り会う場面を演じ、喝采を浴びていました。立派な人形操作と感じつつ、将来、中川人形保存会に加わり本格的に人形操作に関われるならば、すばらしいことだと思います。また、寄贈いただいた頭が加わり保存会の演目の数が増えることになれば、深く、長く伝えていけるのではないかと思いました。
 深まる秋を感じながら、楽しい1日のステージ発表でした。発表者の皆さんに改めて、お礼と拍手を送ります。

平成30年11月8日(木曜日)
中川村長 宮 下 健 彦

 

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