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《村長の部屋》 村発足60周年記念式典 式辞

記事ID:0001360 更新日:2020年1月17日更新

 過日、20日(土曜日)に中川文化センター大ホールにて、議会議員、農業委員他村行政委員会委員、歴代理事者はじめ村の発展にご尽力頂いた諸先輩の皆様とともに、国・県議会議員、広域連合長他市町村長の皆様などご来賓をお迎えし、60年の記念式典を挙行いたしました。
 昭和33(1958)年に、南向、片桐2村が合併し、3年後三六災害など大災害を経験し、加えて、高度経済成長の中で若者を中心に人口減少、過疎化の進行のなかで、村民のがんばりと、それぞれの勤労の結果として今の中川村があります。60年を契機に、過去を振り返りながら、想像が難しい高速通信網の世界、高速通信網の発達した後の中川村を考えたいという主旨のご挨拶をしました。
 式典の中で、村を紹介する動画の発表、フォトコンテスト入選作品及び60周年記念ロゴマーク最優秀作品の発表と表彰を行いました。
 式典最後に、日本を代表するオペラを歌う「藤原歌劇団」の歌手によるアリアの独唱、式典参加者全員で「故郷」を合唱し非常に印象深い式典であったと感じています。
 式典冒頭で小学校5・6年生の登壇による全員合唱「なかがわ村歌」を一緒に歌われた、県議会議員さんが「この歌、良い歌ですね。メロディー、歌詞も。」と評価いただいたこと。中川村民の一人として、改めて誇らしく感じた次第です。

式 辞


 本日ここに、中川村発足60周年記念式典を開催するに当りまして、一言ご挨拶を申上げます。
 まず、本日ご多用の中にもかかわらず、永年、村の発展と村政運営の上でもご尽力を賜っております村内各界の関係者、ご代表の皆様、公務ご多忙の中ご臨席を賜りました長野県知事代理、上伊那振興局長様をはじめ上伊那広域連合長並びに市町村長の皆様、地元選出の宮下一郎衆議院議員様、吉田参議院議員様、県議会議員の皆様等、多くの皆様をお迎えして式典が開催できますこと、喜びとともに、厚くお礼申上げます。
 
 顧みますと、新村建設が緒についたばかりの昭和36年に梅雨前線豪雨災害を経験し、18人の犠牲者を出し、道路河川の決壊、田畑家屋の流出・埋没等の壊滅的ともいえる大災害に見舞われ、四徳地区全戸が集団移住のやむなきに至りました。また昭和30年代半ばからの高度経済成長とともに若者の都市部への人口流出が続き、急速に過疎化が進行することとなりましたが、昭和45年には「過疎地域対策緊急措置法」に基づく地域指定をうけ、様々な過疎対策事業に取組みがなされ、暮らしやすい村づくりの努力を積み重ねてまいりました。
 昭和56年には北海道の中川町からお声掛けをいただき、姉妹町村の提携ができ両町村の中学生や住民の相互交流、物産の交流が現在も続いている事も喜ばしいことと思っております。名古屋市天白区の皆様とは、村出身者を介して地区主体の物産交流をきっかけにして、天白区民まつりに参加させていただき、果物、野菜などの農産物の販売を通して交流が続いています。
 村は、勤労者の住居を確保するため、公営住宅の建設を進めるとともに、昭和59年から南原団地他2団地の造成分譲をしてきました。今年、久々に、地域を担う新しい村民の定着に期待し、小平地区に小規模ながら4区画の宅地造成をはじめました。若者の定住化と少子化対策として、若者向け専用住宅を整備して参りました。5年ぶりに昨年は、「ラ・メゾン中組」10世帯5棟を建設し、おかげさまで、全戸入居となっています。
 昭和53年から、農業の近代化を図るべく、りんご、梨の果樹団地35ヘクタールの造成をはじめ、山郷、前沢洞果樹団地造成など果樹栽培の振興を図ってきました。水稲作業の機械化に対応し、生産性の向上を目指して水田ほ場の区画整理も進めてきましたが、米の生産調整が、農家自身の手に委ねられることとなった今、「消費者が求める米」を追求し、生産することが伊那米の評価向上の取組みと合わせて必要になると考えます。
 片桐中央地籍に平成2年に完成した「共同店舗チャオ」を中心にして、人の流れをこの場所に向け、賑わいをつくるべく、周辺に片桐診療所を移転新築し、農産物加工施設「つくっチャオ」の施設規模拡大を含むリニューアル、共同店舗中央部2階に子育て支援施設つどいの広場「バンビーニ」を整備し、南の前沢川に歩道橋を架設するなどの一連の工事が平成22年に完了しました。村民の足を守るべく、平成16年度から始まり、今も制度改良しつつ運行している「村営巡回バス」、過疎地有償運送「デマンドタクシー」の結節場はチャオにあります。また、天竜川右岸堤防の改修に合わせ、広大な河川敷を国土交通省に使用許可していただき、天の中川河川公園として整備し、先に国土交通省に整備していただいた水辺の広場と一体になった公園周辺は、サイクリング、サッカー等の会場として、村民はもとより、多くの人々に多様な利用がされています。チャオ周辺に多くの人が集まり、思い思いの利用がされ賑わいが生まれている一方、中心施設のチャオに来られるお客様をかつてのように呼び戻すべく、共同店舗組合、生鮮食品店とも知恵を搾り検討を重ねており、村も加わるなかで方向性を早期に出していく必要があるものと認識しています。
 高度情報化の時代を迎え、大容量の伝送を可能とするCATV伝送路高度化事業を行い、平成30年3月に完成を見ました。NTTの光伝送路網と合わせて、高速通信手段が確保できたことで、働く場所にかかわらないネット利用の仕事、テレワークなど推進する環境が整ったことになります。昨年は、お試しシェアオフィスも整備しました。
 市町村合併の問題についても避けて通れない道でありました。伊南四市町村による検討、その後、駒ヶ根市・飯島町・中川村による合併検討があり、平成17年3月の住民投票を経た後、それぞれ自立の道を歩み現在に至っています。大鹿村のお誘いをきっかけにして、失ったら二度と取り戻せない、日本の農山村の景観や環境・文化を守る活動をするNPO法人「日本で最も美しい村」連合に、平成20年10月に加盟いたしました。以来、10年を経過しますが、昨年策定した、「中川村日本で最も美しい村づくり推進計画」を村民自らのものにして、それぞれの立場での取組みを推進して参ります。
 予想されたこととは言え、ここ数年、自然減・社会減両方が続き、毎年60人ほどの減少となり、その数の多さに衝撃を受けています。農業後継者、農作業の担い手確保も課題であり、集落、地域の高齢化と共に地域の消滅も危ぶまれる事態にもつながりかねません。商業者の後継者についても深刻な問題となっていて、農・商の産業衰退に繋がる恐れが現実の課題になっています。村の将来予測は、人口減少、地域の衰退・集落崩壊と言った暗いものばかりではなく、高速交通機関である「リニア中央新幹線」の開通により首都圏、名古屋圏との大幅な時間短縮が図られ、三遠南信自動車道路の延伸による愛知県、静岡県との物流・交流人口の増加が期待されるところであり、既存の道路整備等が更に進むならば、伊那谷が世に出ることとあわせて、この一角に「日本で最も美しい村中川村」の存在も知ってもらう機会が増えるものと考えています。
 村の発足から60年経過した今年を、将来の持続的な村のありかたを考える出発点としたいと思うところであります。今日まで村政発展のためにご尽力いただいた、先輩各位、村民の皆様のご熱意とご協力にあらためて深い敬意と謝意を表しますとともに、ご来賓の皆様には、今後さらに本村の発展に倍旧のご支援とご協力を賜りますようお願いを申し上げます。
 終わりにあたりまして、ご臨席の皆様のご健康とご活躍を心からお祈り申し上げますとともに、今後より一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ式辞といたします。

平成30年10月20日
中川村長 宮 下 健 彦 

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