本文
12月9日(月曜日)に文化センター小ホールにて、村・社会福祉協議会主催で令和6年度中川村戦没者追悼式を執り行いました。
村議会議長他議員、民生児童委員会長、坂井村総代会会長など来賓の出席をいただき、遺族会を代表して役員の皆様の出席の下厳粛に追悼の式を執り行いました。
なお、出席いただいたご遺族からの申し出があり、NHKが編集した「証言の記録 日本人の戦争」のDVDを寄贈いただきました。
これは、2011年12月3・4日に放送された関係者の証言と映像の記録です。第1部「日中戦争」、第2部「太平洋戦争」に分かれていて、村関係者の証言は「日中戦争」に関係するもので、既に故人となられた方々の証言を編集したものです。村に寄贈いただきましたので、有効な利用ができるよう考えます。
式では、主催者を代表して次の様に式辞を述べました。
式辞
本日ここに、中川村戦没者追悼式を開催しましたところ、お忙しいなかにも拘わらず、松澤中川村議会議長はじめ村議会議員各位、福島民生児童委員協議会会長、坂井地区総代会会長等ご来賓のご出席をいただきました。本来であれば、戦没者ご遺族の皆様のご臨席のもとで追悼の式を採りおこなうべきところでありますが、ご遺族の皆様の高齢化もあり、代表して遺族会役員の皆様に限らせていただきましたことお許しをいただきたいと思います。
改めて、主宰者を代表して先の戦争で尊い命を捧げられた御霊に対して追悼の意を申し上げます。
七十数年前、徴兵され、中国大陸や東南アジア諸国、南太平洋の島々など異境の地や海洋で戦われ、また、本土防衛の最後の砦として、激戦の地となった沖縄で戦死された兵士や従軍してなくなられた軍属の方々、多くの地元沖縄の皆様。
国策とはいえ、中国大陸満州開拓に向かった同郷の皆様は、不可侵条約を一方的に破るソ連軍の参戦、侵攻により銃弾に倒れ、開拓地を捨て、祖国日本を目指す逃避行のなか、親兄弟、嬰児など多くの肉親を異境の地に失った皆様。
終戦後、極寒の地シベリア、モンゴルはじめ中央アジア各国に抑留され祖国の地を再び踏むことなく亡くなられた兵士の無念さを思うと、戦没者をはじめ多くの戦争犠牲者の命の上に、七十余年を経て、今日まで平和に暮らし続けるありがたさを改めてかみしめるものです。
ましてや、一家の大黒柱を失いながら、戦後を懸命に生きてこられたご遺族の皆様の今日までの歩みには、豊かで平和な生活を手にしている私たちには計り知れないほどの悲しみ、苦しみの積み重ねがあったであろうと深く感じるところであります。
私を含め戦争の実体験のない世代が、日本人の大多数を占めるほど年月は経過しております。国を動かす政治家・指導者にあっても戦後の生まれの者が殆どを占めるほどになっています。
世界は、あれほどの悲惨な経験をしたにも拘わらず、戦争は終わるどころか、一方の軍事ブロックからの脅威に対抗する理由で、また、民族や宗教を背景として、紛争は戦争となって、住民を殺害し領土を奪い合い、女性や子どもやお年寄りなど明日の命を繋ぐことさえ難しい多くの人々が生み出され続けています。
ハマスによるイスラエル民間人の人質連行、虐殺に端を発したパレスチナ自治区ガザに対するイスラエルの執拗な空爆・地上戦は、1年2ヶ月を経過し4万2千人以上の民間人の犠牲者を生み出しても停戦の糸口がつかめないでいます。ロシアの一方的なミサイル攻撃からはじまったウクライナにおける戦争は、2年9ヶ月を経過しても停戦どころか多国間戦争に拡大しつつあります。
大国アメリカはロシア国内に到達する最新兵器のウクライナ供与に踏み切ろうとしており、これに対抗して、ロシアは、核兵器の配備と共に北朝鮮と軍事協定を結び、弾薬のみならず北朝鮮兵士の前線投入を行うという、国際間の戦争に拡大する危惧がされます。
東アジアにおいても、中国の領海拡大の示威行動はすさまじいものがあり、日本も対抗して南西諸島の島々に自衛隊のミサイル部隊を増強し、これを封じ込める準備を進めていますが、ミサイル基地が真っ先に攻撃の対象になるばかりか、ウクライナの住宅地、学校や病院にミサイルを撃ち込むロシア同様、住民を巻き込む凄惨な沖縄戦を再び蘇らせることになる恐れを感じるのは私一人ではないと思います。
今年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。国際間の連携は一見無力にも見えますが、被爆当事者として核兵器と戦争をなくすことを一貫して世界に呼びかけ、自らの体験を語り平和運動をすすめる被団協の方々の行動を賞賛するものであると同時に、平和を求める世界中の運動を励まし、大きく後押しをし、戦争を中止し、共存する道を探れという圧倒的な世界の国々の声を、改めて示したものと思います。
平和な国家日本に生きる私たちのすべきことは、国の平和外交をしっかりと後押ししていくことだと改めて決意をいたします。
戦没者の御霊の安らかなることをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご多幸を祈念申し上げまして、式辞といたします。
令和6年12月9日
中川村長 宮下健彦